今回のお話は、体験談となりますので、特に困り事を解決したりはしないどころか、人によっては少し嫌な気分になったりする可能性もあるので、ちょっとでも違和感を感じらたら即ブラウザバックしてください!
(そんな記事書かなきゃええやんという自分🔥VS🔥俺は俺の好きなことを書いて生きていくんやという自分)
まあ、タイトルで既にオチがわかってしまっていますが、一応時系列に沿って書いていこうと思います。と、その前にざっと僕の人生と発達特性について振り返ります。
かなり長くなってしまったので、実際のカウンセリングがどんな様子だったかだけ知りたい方は、目次から本題へ!
- 出生〜小学校時代:それっぽい特性はあったものの、困ってはなかった
- 中学:地獄の部活ノート 先延ばしに苦しむ日々
- 高校:ファミレスバイト・できないことはあったがたまたま適所に
- 大学:いきなり困難が増え、一気に生きづらく
- 本題:学内カウンセリングへ駆け込み
出生〜小学校時代:それっぽい特性はあったものの、困ってはなかった
僕は田舎というには中途半端な、地方都市というほど栄えてもいない土地で3兄弟の末っ子として生まれました。
両親の話や通信簿の内容、自分の記憶から紐解いてみると、発達の偏り、障害としては、発語が若干遅いくらいで特に顕著な症状は幼児期には見られなかったと思います。
小学校に上がって、徐々にそれっぽい特性が(今振り返ってみると)現れてきたように思います。
・宿題が全く手をつけられない
・空気が読めない、隠し事ができない
・ゲームを最後までクリアできず、投げ出すことが多い
が、授業は集中して聞いていたのか、成績は悪くはなかったですし、多動も貧乏ゆすり程度でしたので普通に学校生活を送るのに支障はなかったと思います。
中学:地獄の部活ノート 先延ばしに苦しむ日々
中学では、次のことに大きく悩むことになります。
・毎日の部活の反省ノートが、なかなか手をつけられず、毎日朝の3時4時にならないと
書き出せなかった。
バスケ部に所属していたのですが、運動部にありがち?な「その日の練習内容の振り返り・反省を書くノート」みたいなのがありました。
これがとても厄介で、内容をしっかり書かないと顧問に叱責されるので、毎日追い詰められながら机に向かうも、なかなか書き出すことができず、布団に逃げては目覚ましを30分おきなどにかけ、机に向かってはまた挫折し布団へ逃げ込み、それを繰り返している間に陽が登ってようやく書き始める・・・
そんなことを1年から3年の春までほぼずっと繰り返しておりました。
高校:ファミレスバイト・できないことはあったがたまたま適所に
高校にあがりますと、だんだん授業を聞いているだけでは理解が及ばず、家でコツコツ勉強をする習慣なんぞついてないので、みるみる成績が落ちていきましたが、受験期には塾へ行ったため、なんとか地元の大学に進めるくらいの点数は維持できました。
ファミレスのキッチンでアルバイトをしていたのですが、
僕が働いていたファミレスでは、「センター」と「グリル・フライヤー」のポジションに分かれており、簡単に言うと
○センター:オーダーを元に調理の優先度を判断し、指示を出す。
○グリル・フライヤー:センターの指示を元に調理を進める。
といった役割でした。
基本的に私は「グリル・フライヤー」を担っていたので、ある程度自身での判断も必要ですが、大概センターの言う通りに動いてれば調理を進めることができます。
センターは業務に慣れたスタッフが任されるので、私も1、2年経った頃に少し覚えさせられましたが、大量のオーダー内容を覚えて、何を優先して調理すべきかを判断して指示出しをするなんて言うことはてんでダメでしたので、結局グリル・フライヤー専任となりました。
とはいえセンターを全くやらなかったわけではなく、自分が一番先輩になるシフトだったりすると、消去法でやったりしていましたが、その時は大体オペレーションがボロボロで料理の提供が遅れたりしてましたね・・・。
そうして晴れて私は大学生になったわけなのですが、「ひょっとして自分は発達障害なのはないか?」と考え始めたのは、大学1、2年のどこかのタイミングだったかと思います。
大学:いきなり困難が増え、一気に生きづらく
大学になると、今まで何も考えずに授業を受けられていたのが一変して、履修登録や課題の提出などありとあらゆる手続きが自力・自己責任となり、ここで色々な問題にぶつかることとなります。
・課題の期限を守れない
・90分の授業フルで起きていられない
・履修登録が自力でできない
・初回の授業で、空いてる席が見つけられなくてキョロキョロしているうちに授業が始まる時間になってしまい、そのまま居づらくなってバックれて全コマ欠席
などなど・・・
ちょうど大学に入ったくらいの時期から、ネットでチラホラ発達障害についての記述を見かけるようになり、「俺やん!」と思うことはあっても、「まあ実際障害なんてことはないだろ」と軽く考えていました。
本格的に悩み始めたのが、卒論の時期です。
とにかく参考文献も読みすすめられないし、ちっとも書き始められないまま、とうとう提出の2週間前になっても1文字も書けていない状態でした。
やる気がないわけではない、焦りもあるし書かなきゃ書かなきゃと思っていても、どうしても書けない。遊びに逃げ出して無為な時間を過ごしてしまう。
本題:学内カウンセリングへ駆け込み
発達障害のことについて軽く考えていた僕も、ここまで動き出せないのは流石におかしいと思い、精神科の受診を検討しましたが、どこもかしこも当たり前のように1ヶ月2ヶ月待ち。
こんなんじゃ間に合わないよ!と思って学内のカウンセリングのことをふと思い出して相談に行きました。電話で申し込んで1、2日後には行けたと思います。
まず最初に大学の事務員が出てきて、卒論が書けなくて困ってます、今までもレポートの課題が出せなかったり履修登録が自力だと難しいです、みたいな悩み事を一通り話した後、かなり簡易的な検査のようなもの(大人になってちゃんとした医者で受けた検査の検査の1/5くらいのボリューム。大学オリジナルっぽい?)に記入して、後日専門のカウンセラー?(素性がよくわからない)のおばちゃんと面談となりました。
ここでようやくタイトルの話になります。
部屋に通されて、奥から白衣を着た怪しいおばちゃんが現れて、「話は一通り聞いたけど、あなたは障害とかではなくて、単純に他の人よりできないことが多いだけね!気にする必要ないですよ」
で、おわり!!!
マジで3分もかからなかった。無能な健常者だったとして、現状困っているのは事実なのに、それに対する何かしらの助言ないし相談先の紹介も何もなし。
あまりにも早すぎて終わって部屋を出た後も何を言われたのかしばらくわからなくて考え込んでしまっていました。
今思えば、専門の医療機関でもない学内カウンセラーじゃなくてさっさとちゃんと医者にかかればよかったなとは思うのですが、これを間に受けた僕は「自分は障害じゃないただの無能なので、支援や福祉につながることもできずにただ無能として惨めに生きていくしかないんだ」と考えを抱えてしばらく生きることになります。
卒論はゼミの教授に相談してなんとかボロボロの未完成の状態でも通してもらえ(今思えばなんで通ったんだ?というレベル)その後就職して社会人となるも、やっぱり困りごとが絶えずにきちんと医者へ行ってみたら無事診断を受けて今に至ります。
なんとなく書くネタに詰まって身の上話をしてみましたが、ここまで長い文章を読んでくれた方に伝えたいのが、あなたやあなたの周りの人が発達障害と思しき困りごとを抱えていて、カウンセリングや受診を検討しているとしたら、中には心無い言葉をかけてくる人もいたりします、と言うことです。発達障害というものは、ボーダーが曖昧なので、こういったことが起きてしまうのはある意味しょうがないことではありますから・・・
とかなんとかいって脅かしたいわけではなく、困りごとがあるのであれば、もちろん治療や支援を積極的に求めてほしいと思いますが、現実問題ハズレに当たってしまう可能性はあるので、セカンドオピニオン的な感じで、複数のカウンセラーや医師の意見を仰いでくださいね、と言うことです。こんなに書いといて言いたいことがこんな簡単なことなのか・・・